記憶の底に 第4話


・・・2本目、か。
空になったペットボトルを見ながら、俺は口元に笑みを浮かべた。
2本。
今日登校してから帰宅するまでに飲んだ水の本数だ。
この数は快挙と言ってもいいだろう。
今日は生徒会の仕事もあったため帰宅時間は18時を回っていた。
それでも2本。
今週に入ってから、水の摂取量は日に日に減っていた。
原因は解らないが、学園に居る間、渇きが殆ど感じられなかったのだ。
回復の兆しが見えてきたのだろうか?それならいいのだが。
空になったペットボトルを分別し、ゴミ箱へ入れていると、ロロが帰宅してきた。
今日はクラスの関係で遅くなると入っていたが、まさか俺より遅いとは。

「ロロ、おかえり」

そう声をかけると、ロロは嬉しそうに笑った。

「ただいま兄さん」

ぱたぱたと掛けてくるロロはまるで子犬のようだ。近づいてきたロロの頭に手を置き、優しく撫でると、嬉しそうに笑う。
俺のただ一人の家族。
この笑顔のためなら俺は・・・。
その瞬間、思い出したかのように強烈な渇きがこの身を蝕んだ。
俺はロロをなでる手を離すと、グラスを手に取り、水を満たす。

「兄さん、あまり飲んだらだめだよ」
「大丈夫だよ。今日は調子がよくて、2本しか飲んでないんだ」
「そうなの!?よくなってきたのかな?」

今までにない事に、ロロも驚きの表情でこちらを見た。

「そうだといいんだが」

俺はそう言いながら、この渇きを消し去りたくて、煽る様に水を口にする。
心配そうにこちらを見るロロに苛立ちが募るのはなぜだろう。そんな感情、抱く理由が思い浮かばない。これも一種の反抗期なのだろうか。だとしたら余計に押し殺さなければ。ロロを拒絶するなど、あってはならない。
俺は誰よりもロロを愛しているのだから。
・・・ああ、喉が渇く。
水が欲しい。

「兄さん、一気に飲んだら駄目だよ」

コップに水を満たそうとする手をロロに止められ、ハッとする。

「ああ、そうだな。せっかく少ない量で済んだのに、ここで飲んだら意味がないな」
「そうだよ兄さん」
「じゃあ夕食の用意をしよう。ロロは何が食べたい?」
「兄さんが作るものなら何でも!」
「じゃあ、ロロの嫌いなピーマンを使った肉詰めなんてどうだ?」
「ええ!?えーと、それじゃあ・・・」

穏やかな兄弟の会話。
幸せな一時のはずなのに、じりじりと身を焦がすような暑さと喉の渇きに責め苛まれる。
何が原因なのだろうか。
精神的な物だとしたら、どうしてロロとジノが居る時に酷く乾くのだろう?
それが最初の疑問だった。



次の授業までの間、授業についていけていない僕は、ルルーシュに解らない所を教えてもらいながら、先ほどまでの授業の復習をしていた。
ルルーシュは要点を教えるのが上手く、先ほどまでは暗号にしか見えなかったその内容が、次々解読されていった。
そんな様子を同じく授業について行くのがやっとなリヴァルとシャーリーが覗きこみ、自分のノートにもいろいろ書きこんでいく。
僕が復学してから、いつもこんな感じで僕たちは次の授業まで集まっていた。

「スザク、その問題はここではなく、これを・・・」
「あ、そうか。ここをこうして・・・」
「そう、そうだ。そこさえ注意すれば難しい問題じゃない」

ふむふむと、僕はノートに書き出していく。
そんな僕達を見て、リヴァルは吹き出すように笑った。

「ルルーシュとスザクってホント仲がいいよな」
「「え!?」」

思わず同時に疑問符を上げながら、僕とルルーシュはリヴァルを見た。

「ほら、反応も同じだ」

カラカラと笑いながらリヴァルが言う。
仲がいい?ルルーシュと?冗談じゃない。
幼い頃ならいざ知らず、こんな嘘つき男と友人だと思われるだけでも不愉快だった。だが、今はこの餌を監視するのが僕の役目。それを表に出すわけにはいかないのだが。

「そうかな?」
「普通だと思うが・・・」

お互いに困惑したような表情をしてしまい、ほらやっぱり仲がいいとリヴァルはますます面白いと笑った。

「そんなにおかしい事か?」

ルルーシュが、笑い続けるリヴァルに呆れたように問いかけると、リヴァルは違う違うと首を振った。おかしい、じゃなく、うれしいのだという。

「だってさ、ルルーシュ。お前スザクが戻ってきてから水を飲む量明らかに減っただろ」
「うんうん、それ私も気になってた。あんなに言ってもがぶがぶ飲んでたルルが、殆ど飲まなく無くなったんだもん」

今日はまだ2本目開封してないよね。

「喉の渇きを忘れるぐらい、スザクといると楽しいってことだろ?いい事じゃん」
「それはつまり、リヴァルとシャーリーといても楽しくないという事か?」

ルルーシュは意味が解らないという様に、首を傾げながら尋ねると、リヴァルとシャーリーは顔を見合わせた後、眉尻を下げた。

「う、そう言う事になるのかなぁ?ルル、私といてもつまらないの?」
「それはそれでショックだよなぁ」
「楽しくて喉の渇きを忘れるなら、ジノとロロといる時に喉が渇くのはおかしいだろ?」

何せ俺の唯一の親友と、最愛の弟なんだから。

「それもそうか。でも、スザクが戻ってから、ルルーシュの飲む量が減ったのは間違いないって」
「・・・それは、そうなんだが」

確かに再会した当初のように、ひっきりなしに水を飲む姿は見られなくなった。だけどそれが僕と居るから?それはあり得ない。
もしそうだとしたら、ジュリアスがあれほど水を欲する事は無かっただろう。

「僕が原因じゃなく、きっと体調がよくなってきたんだよ。ね、ルルーシュ」
「ああ、恐らくな。大体、スザクが居るから変わる事ではないだろう?」
「そうかな~?」
「もしスザクがいることで治まるなら、この喉の渇きの原因は何だ、という話になる」
「それなんだよね。でも、体が水分を欲しがってるって感じじゃないよね」

シャーリーがうーんと唸りながら眉を寄せる。
リヴァルから聞いた話だと、大量に水分を取ることでルルーシュはよくお腹を壊しているらしい。水分の取り過ぎで吐く事もあるとか。体は拒絶を示しても、喉の渇きに負けて口にする。
記憶改竄が原因だとしても、一体どうして渇くのだろう?

「そそ、精神的な物って感じだよな。まあ、元々教室で飲む量は生徒会室で飲む量よりは少なかったけど、今は殆ど飲んでないだろ?」

俺たちと変わらない量で満足してるみたいだしさ。

「それって、生徒会室に行くと異様に水を飲むって事?」
「まあ、そうなるかな?」
「うん、凄い勢いで飲むよね」

僕たちは視線をルルーシュに向けるが、ルルーシュはそうか?と言いたげに首をかしげていた。無意識に水に手を伸ばしているから、どれだけの量をいつ飲んでいるのか、理解っていないのかもしれない。言われてみれば確かに、生徒会室で彼はよく水に手を伸ばすため、毎回僕がそれを奪っていたが、教室でそれは無かった。

「原因が何かはまだ解らないけどさ、スザクの可能性もあるんだから、ルルーシュはスザクに感謝しなきゃな」
「成程。なら、こうして勉強を見ることで貸し借り無しだな」

元々貸しにするつもりは無かったが丁度いい。

「あっれぇ、それで終わらせるのかよ」

予想外だと言いたげに、リヴァルは口をとがらせた。

「他にどうしろって言うんだ」

何かプレゼントでもすればいいのか?
その問いに、良く聞いてくれたと言わんばかりにリヴァルが笑顔で口を開いた。

「ほら、スザクのラウンズ就任祝いを生徒会でするって話しあったじゃん」
「ああ、成程。俺と会長で料理を作れと」
「大正解!ほら、俺とシャーリーはあんまり役に立たないからさ」

僕は見た事が無いが、リヴァルは料理が出来ず、シャーリーは不器用でキッチン内を大惨事にすると以前ルルーシュが話していた。だから、会長とルルーシュ二人に料理を押し付けたいという事なのだろう。

「胸を張って言う事か。でもまあ、そうだな。スザクの祝いだし、和食を作るのも手だな」

和食。
その言葉に、僕は思わずルルーシュを見た。

「ルル、和食も作れるの!?」

枢木本家に居た頃にも何度も食べていたが、再会した時には腕を上げていて、敗戦後の日本で食べた和食の中で、ルルーシュの料理が一番おいしかった事を思い出す。
お腹すいた。
食べたいな、和食。

「ああ。それなりにな。ここはエリア11なんだから作れてもおかしくないだろ?」
「まあそうだけどさ、お前、ホント主婦だよな」

炊事洗濯料理、全部完ぺきにこなす男子高校生はそうはいないだろう。この前、買い物に付き合った時はタイムセールを狙って買ってたし。主婦に交じって男子高校生はなかなか目立つが、その主婦と当たり前のように会話を交わしている様子から、それがいつもの光景なんだという事も窺い知れた。

「俺が最初に覚えた料理は和食なんだよ。な、スザク」
「うん、そうだね」

何気ない言葉に、僕は反射的に頷いた。

「へーそうなんだ。でもなんでスザクが知ってるんだその事」
「「え?」」

そう、頷いてはいけなかった。
ルルーシュも、それを尋ねるならジノでなければいけなかった。
些細なことではあったが、おそらくこれがルルーシュが苦しみ始めたきっかけなのだと思う。

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